2012年2月25日土曜日

「官報複合体」(講談社)を読んで改めてマスコミを考える

気候も株価も春めいて?来ましたので、ブログも少しイメチェンしました。

話題?の一冊。著者は元日本経済新聞社の金融・証券の記者の牧野洋氏。
彼の著作は3冊目となります。前2作は
  1. 「世界最強の投資家、バフェット」
  2. 「不思議の国のM&A」ともに日本経済新聞出版社

です。特に「不思議の国のM&A」が印象的でした。これは私の印象に残る本のかなり上位になると思います。したがって「官報複合体」を迷わず買った。

この本の「イイタイコト」は、新聞社は「ジャーナリズム」を持って欲しいと言うことでしょうか。日本の新聞社には、読者目線で正確に調査・分析した独自の記事を書くことで、読者にもっと世の中に発生した重大な事件で、ほうっておくと誰も取り上げないことを深く報道して欲しい。マスコミは「権力の応援団」ではなく、「権力の番人」であって欲しい、そんな風に感じました。

こうした彼のジャーナリストとしての理念と大手新聞社の新聞記者という「サラリーマン」のギャップに嫌気がさして、独立と言う感じでしょうか。何となくわかりますねえ。

個人的な感想ですが、マスコミも官僚も経営者も、戦前の体質を引きずっているようで、進歩がないようにも思いました。これは日本では、上からのお達しを無条件で受け入れさせる詰め込み型の「金太郎飴製造法」とでもいいましょうか、そういった型にはまった人を育成させやすい教育システムや価値観にも究極的には連動するのであろうと思いました。

銀行だけが金太郎飴とは思えません、日本の社会!(と珍しく銀行を擁護) 
例:
  • 朝日新聞、毎日新聞、読売新聞の1面トップは同じような記事が多い
  • 大手電機メーカーだって雁首そろって大赤字。赤字要因も横並び。
  • 公務員の抵抗は霞が関も大阪市も同じでしょ。ボスは違うけど。
  • 自民党も民主党も政権変わって何が変わった!  …etc.

さらに、牧野氏はアメリカ型ジャーナリズムを手本として日本のそれを比較されているが(何でもアメリカが良いとは思わないですが、アンチアメリカンな人はこの本に反発を覚えるかもしれないがこのブログも読まないだろう)、個人的には、日本的プロダクトアウト型思考と欧米的ともいえるマーケットイン型思考の違いが、ジャーナリズムの世界にも当てはまるのではないかと思いました。

つまり、日本の新聞社では、「報道先取り型」(他社よりも記事を早く伝える)ことが重要で、内容の正確性や真実性は二の次になっているケースが散見される(例:最近では鉢呂元経済産業大臣の「放射能つけちゃうぞ」発言、けど結局、内容は「横並び」)。

また、報道姿勢が権力寄りで、読者側にならない点(例:TPP参加可否議論では、農業か産業かという対立軸で報道されることが非常に多かったが、我々読者は真っ先に個人消費者であり、消費者目線で自由貿易論を論じるような記事はかなり少数派ではなかったか)。

なぜ「報道先取り型」になるのかと言えば、新聞社では「他社より早く伝える」ことが記者の人事考課に大きく影響するのだそうです。そういった人事考課や評価体制はプロダクトアウト型(いいもの作れば必ず売れる的な発想)と言えるのではないだろうか。要するに独りよがり。読者は事実に対する深い分析や洞察も早いこと以上に期待している。真実や本質を知りたいのだ。

日本のGDP60%は個人消費で占められると言われているにもかかわらず、農業か産業かで論じる政府や官僚に対し、「消費者目線」で論じることのできないマスコミの体質はマーケットイン型(利用者側に立って物事を考える)とはとても言えない。

更に牧野氏は権力寄り報道の諸悪の根源は記者クラブだ、と指摘しています。この指摘は上杉隆氏に共通するところがあります。私は、上杉氏があまりにも記者クラブ批判を行っているので、「ちょっと逆恨みがあるんじゃないか?」と思っていたほどでした(けど官房機密費の話はショッキングだった)。

しかし、牧野氏のこの本を読んで、上杉氏の主張とほとんど同じであると知り、「ああやっぱり、新聞ってそんなもんか。」とあらためてDisappointmentしました。

ただし、実際は新聞には官僚批判な論調も混在しますので、この辺ウケ狙いがマスコミの行動原理であり、その時売れる記事を優先しながら、最後には「社内的に微妙だから」権力寄りでお茶を濁す、そんな報道姿勢を個人的には感じます。

そういった報道姿勢を牧野氏的には、「理念がない」とばっさり切り捨てています。つまり新聞社各社に対して、何に価値観を置いて報道を展開していくのか、というポリシーが欠落しているので、「早ければいい」とか、「ウケればいい」という安直で、手のひら返しも平気になってしまうのでしょう。

牧野氏、上杉氏は記者クラブを徹底批判されていますが、元記者クラブにいた方で「いま、知らないと絶対損する年金5050答」(文春新書)を出版された太田啓之氏、彼は朝日新聞の元記者で、厚生労働省の記者クラブにいた人です。彼は例外的に厚労省の記者クラブ在籍年数が長かったため、じっくりと年金問題を理解し取り組んでいたそうで、結構しっかりした本を出されています(但し、どちらかと言えば官僚を肯定し、政治を批判しているが年金の仕組みを理解するにはおススメの本です)。

その彼が言うには、記者クラブに在籍する記者は「権力との馴れ合い」を防ぐために、通常は23年でローテーション的に転勤するらしく、結局、じっくり政策を勉強して記事を書くと言うよりは、どうせ短期間の担当だからと言って、スキャンダラスなものに走り易いという主旨のことを記載されていました(しかし、系列TV局のF館氏の番組では、「100年年金は嘘だ」と騒いでいますねえ)。

ただ、新聞社そのものが権力と馴れ合っているので、ローテーションも意味がないような気がしました…。

また、立ち読みしただけなので、書名は覚えていませんが、産経新聞の元常務が語っていたのは以下の様な事でした。
例えば、アメリカの新聞社で大統領の記事を書く人は、その道のベテラン記者がずっと追いかけて、一挙一動から大統領ニュアンスを読み政治動向を分析する、とのことですが、日本の首相を追いかける記者は「何か変なことをしゃべらなかったか」という一点にフォーカスしているそうです。そのため、ベテランを配置せず、新米に担当させるそうです。
(ああ、なんて軽んじられた国家元首)
ちなみに、失言を血眼になって追いかけられたのは自民党の森元首相だそうです(な~るほど)。

牧野氏は理念を持って、読者目線で、独自取材と徹底調査された記事こそがジャーナリズムであると説いています。単なる事実報道は通信社の記事で埋めればいいと。経営不振にあえぐ新聞社も選択と集中ですね。

個人個人で見れば優秀な記者さんは多いと思いますが、集団となると…といったところでしょう。これは日本の社会に共通するところでしょう。個人では優秀な人が多いが組織ではダメになった日本人。学校で学んだ「集団生活」とはこんなことのためなのでしょうか??? 

次作にも期待したいと思います。

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