2021年8月22日日曜日

バブル世代がバブル期を振り返る 1990年

 

この年、日本で最もヒットした曲は「おどるぽんぽこりん」、アニメTV『ちびまる子ちゃん』のテーマソングでしたね。米米CLUBの不朽の名作『浪漫飛行』は2位だったようです。振り返るとちょっと残念でした。

 

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1990年というのは、私にとってはアメリカ留学から帰国し、日本の大学に復学して、就職活動をする、という時期に当たります。

就職活動に関しては、アメリカ留学時代に知り合った米国人がアンダーセンに勤務していました(注:同社はエンロン事件の時、虚偽な監査をしたと言って潰れてしまいました。当時はKPMGやデロイトなどと並んだ大手監査法人でした)。

その彼は、会計士の資格はあったと思いますが、仕事はコンサルティングでした。企業の財務戦略を手伝うんだ、と言っていました。彼のレポートを基に銀行借り入れや投資家に企業は説明する、と言っていました。彼は、もう少しビジネスの知識をつけると言って、大学でマーケティングなどを勉強していました。

それが非常にかっこよく思っていました。自分もコンサルタントになりたい、と漠然と思っていました。

帰国して、いろいろ情報を集めると、新卒でコンサル会社に就職するというのは当時ではほとんど稀なケースでした。だいたい、アメリカでMBAを取得したような人が取材を受けているような記事を調べると出てきました(当時はネットもないし、人脈もなかったので、雑誌記事やムック本を読むぐらいでした)。

それである程度経済や企業を幅広く知るために最終的には銀行に就職することにしました。

学業の方は卒業に必要な単位をほとんど取得していて、ゼミくらいのもので、バイトばかりしていました。

もっとっも1年「留年」していることになっているので、同級生等はみな先に就職してしまったのですが。

日本の出来事

当然、株価暴落でしょう。この年から始まる「失われた1020いや30年?」(バブル以降、ずっと「失われた」と言われ続けていますね)。



19891229日、ザラ場で38,957円を付け、終値38,916円から101日には20222円まで下がり(やっぱりこの時期は良くない)、1228日に23,849円で終えました。▲38.7%でしたね。S&P500 が年間で▲30%以上を記録したのは2008年のリーマンショック時に▲38.5%だったようです。

世界の出来事

イラクのクエート侵攻


イラクのクエート侵攻です。イランとの戦争の債務の返済に悩むイラクがクエートに侵攻し、石油減産による価格上昇で税収を稼ごう、としていたようです。クエートを併合し、港の確保と石油施設の確保を狙ったようです。当然イラクの大統領はサダム・フセインでした。

これに対し、珍しく国際社会は一致団結してイラクに非難を表明し(ゴルバチョフ政権下のソ連は、自国経済が立ち行かなくなっていて、アメリカに逆らう余裕がなかった。冷戦を終結させたかった)、多国籍軍を結成し、一致団結して、のちに湾岸戦争になります。

 

東西ドイツの再統一


1989年のベルリンの壁が崩壊し、東ドイツの社会党の一党独裁が終わります。圧倒的に不人気だった旧東独の社会党なき後の人民代表はあっさり西ドイツのコール首相(当時)を歓迎し、あれよあれよという間に19905月に統一されました。

ただし、統一後は旧東独への経済支援などが、負担となって、ドイツ全体の経済などは停滞傾向にあったとされています。東西格差やネオナチ活動などその後の社会問題も抱えるようになりました。

しかし、今ドイツはEUの中心的な存在で、他の国がドイツほど経済・金融状況が良くないので、統一通貨ユーロがドイツ経済の実力より割安な水準におかれがちとなって、通貨安を享受していると言われています。

1990年のダウ平均株価



アメリカでは19908月ごろから913月にかけてリセッションとなっている。これを反映し、株式市場も冴えない1年だったようです。年率で▲4.3%となっています。アメリカ経済の停滞をいち早く察して日経平均が崩れたのかもしれませんね。アメリカがくしゃみすれば日本が風邪をひく、いや、アメリカが風邪をひいたので、日本は重症になった(今後なっていく)という感じでしょうか。

不穏な空気が漂い始めていたはずですが、個人的にはそんなことは露知らず、社会人になろうとしていました。


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