2021年6月18日金曜日

バブル世代がバブル期を振り返る 1989年 その1 プライベートなこと




 PCが修理から帰ってきました。マザーボードの交換を(保証期間内)無償でやってくれました。

バブル世代がバブル期を振り返るシリーズです。

1989年は、なんといっても、これですね。それと消費税の導入でしょうか?

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その1、としたのは、この年は自分の人生でもかなり重要な位置づけをしているとおもったので。

その1ではかなり個人的なことを、その2では自分が見た1989年という位置づけにしたいと思います(1989年の時事的な出来事を振り返る)また、その3 私が経験したアメリカから見た日本と長々となりますがご了承ください。

前回も書きましたが、1987年の大学2年ごろから海外で生活してみたい、という気が強くなり、アメリカのESLに留学しようと考えるようになっていました。そのために、アルバイトばかりして、かなり貯めて(100万ぐらい貯めて、残り120万程度だと思うが、親に頼み込んで出してもらった)、3月にアメリカに出国しました。

当時は日本の就職にアメリカの学位は役に立たない、とうのが定説だったので(帰国後は必ずしもそうでもなかった。バブルで景気が良くて採用枠を広げていたから)、英語力だけアップできればいい、と考えていました。

アメリカのウイスコンシン州・ミルウオーキーという中西部の中堅都市のUniversity of Wisconsin Milwaukee (UWM)ESL3月に留学しました。

住むところは、大学構内の学生寮があったので、無理やり交渉して入れてもらいました(日本にいたときにESL入学と一緒に申し込んだつもりでしたが、仲介した毎日コミュニケーションズの手落ちか、現地の手落ちか、到着した日には手続きされていなかった。文句を言いまくって、近所のホテルで滞在していたら、大学教授の妻が日本人、という人がいてその人の家に1週間ほど滞在させてもらい、その後入寮できた。英語力ではなく粘りだ、と思いました)。

この大学、実はマイクロソフトのナデラCEOが在籍していたことがあるといこうとを後から知りました。彼は1990年に当大学を卒業しているらしく(その後シカゴ大の大学院にはいってマイクロソフトに就職したようだ)、キャンパスであったことがあるかもしれません()

当時から、インド人が多く、インド人はみなコンピューターサイエンスを学ぶという感じで、今思えば、インド人経営者がアメリカのハイテク企業に多いのもうなずくものがあります。たいていの大学において、コンピューターサイエンスの専攻は一番優秀な学生が集まるところだったと思います。

大学にもコンピュータールームがあり、アップル製のマッキントッシュコンピューターが100台近くありました。学生はそこで、レポート提出に向けてタイプライター代わりに使用していたと思います。私もレポートを作成し、プリントアウトし、フロッピーディスクに記憶させる、という作業を初めて覚えました。アップルキー(今のWindowsキーのようなもの)が新鮮でしたね。ナデラもアップルで学んでマイクロソフトに入社したのかな?

ESL生活はいろんな国の人と仲良くなれて楽しかったのですが、やっぱり真剣みに欠けるのと、はっきり言って数か月で飽きてきます。そこで、TOEFLを受けて正規留学に方向転換しました。

アメリカの大学は、言ってしまえば入学資格さえそろえば(日本人の大学生の場合、大学の在籍証明とある程度の英語力:TOEFL当時の530点だったと思う)、カネさえ払い、アメリカ人と同じ条件で授業を受けて、レポートを出して、試験を受けて、成績が良ければ単位はくれます。

卒業したければ、専攻の卒業に必要な単位を取れば卒業させてくれます。

学費は州の住民ならかなり格安、州外の住民ならそれなりに払えばいい(取得している科目数×単価+事務局の施設費とか)というアメリカらしい合理的なシステムでした。

日本の大学は休学ということにしました。

3月から夏休みが終わるまでがESL、9月からの新学期から12月の1学期(約16週間)が正規の学部生、翌年1月に帰国しました。

その16週間は、ウイスコンシン州の政治の仕組みを学ぶ科目、アメリカの外交政策、社会学(基本的なもの)、英語の構文・作文力養成(レポート出さなきゃいけない)の4科目16単位を取りました(多すぎると大変になると釘を刺され、物足りないと思ったが4科目としたつもりでしたが、これでも大変でした)。

TOEIC530点程度の英語力でアメリカの大学の講義を理解するのは無理です(注:日本で学んで予備知識があれば別だと思います)。仮に教授の言っていることがわかっても、アメリカ人同士の議論になると、専門用語+オーラルイングリッシュ+ハイスピード、ということになり、ほとんどついていけません。

したがって、講義では最前列でレコーダで録音して必死にノートをとっていました。

しかし、アメリカの大学は16週間のうち、Midtermと期末の2回のテストがあり、2回のテストの間にそれぞれレポート提出があります。それが4科目ぐるぐる回るので、慣れない私には非常にきつかったです。この16週間は今でも人生で最も勉強した期間ではなかったか、と思います。

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2 件のコメント:

  1.  注)日本で学んで予備知識があれば別。というのは、私も実感します。95年だったと思いますが、私は1ヶ月間の夏季短期留学ですがサンディエゴのUCSDに行きました。当時はTOEFL500点ぐらいで、550点あれば大学の費用で行けたのですが、点数が足らずに全額自己負担で行きました。経済学の初級のコースを受講しました。既に当時私は大学3年で、この内容についてはサミュエルソンの「Economics」を原書で日本で受講済みでした。米国で授業を受けての感想は、英語力が足りなくても数字やグラフの世界で、専門用語を知っていれば、キーワードを聞いただけで先読みできるので、理解できた。というものでした。当時、日本ではOHPぐらいしかなかったのが、先生がノートPCを使ってロータスのフリーランスというソフト(Power point同等製品)を使って授業をしていたのが新鮮でした。英語力とその課題への予備知識があるのは別物だと実感しました。その後、海外とは全く縁のない学生生活・社会人生活を送っていましたが、現在では海外に関わる仕事をしており、スティーブ・ジョブズの有名な演説ではないですが、点と点をつなぐ、その時には分からなかったことが、あとになってつながる、人生に無駄なことなど何もない。というのは、実感となりました。

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    1. E39Aさん、コメントありがとうございます。
      私も結局、海外とあまり縁のない仕事になりましたが、米国株式投資にすんなり溶け込めたのはこの時の経験が起きかったと思います。なんとなくアメリカの合理性が腹落ちしましたので。
      お互い、留学経験が生きてよかったですね。
      今後ともよろしくお願いいたします。

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