2021年7月17日土曜日

バブル世代がバブル期を振り返る 1990年





 1990年、個人的にはアメリカ留学から帰国し、4月は大学4年生に復学し、就職活動、内定、という生活でした。卒業に必要な単位数は12ほど(ゼミを入れて3科目か4科目程度)で、ゆっくりした日々を過ごしていました。

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1990年の日経平均チャート

いよいよバブル崩壊が始まっていました。日経平均は138,922円でスタートし、一次ザラ場で19,782円と2万円割れを記録し、最終的に23,849円で年を終えました。

金融機関を中心に就職活動をし、日経新聞も購読し始め、ビジネスマンの真似?をしていたにもかかわらず、こんなに株価が暴落していたとは当時は全く意識していませんでした。

38.7%の下落となりました。やっぱり?10月に安値を付けていますね。この時期は株価が下がりやすいというジンクスですね。

2008年のS&P500が▲38.5%でほぼ同じですね。

 

こんな状況にもかかわらず、就職戦線は順調で、学生の間では内定コレクターのような者が続出しました。

当時は、突然、企業側からDMで会社案内がどっさり送られて、興味のある企業にはかたっぱしからハガキを書いて送って、電話がかかってくるのを待つ。その後OBや会社の人に会いに行く、の繰り返しでした。

最後は大阪に本店があった銀行と東京に本店があった銀行で迷いましたが、後者にして就職が内定しました。今は2つとも当時の名前はなく、別の銀行になっていますね。

地元の地銀にも内定をもらっていましたが、お断りをするのに非常に逡巡してしまいました。「コレクター」の人はどうやって断ったんだろう。

ソ連ゴルバチョフによる「ペレストロイカ」(再構築という意味で、開放政策)の象徴的な出来事が、モスクワにMacDonaldが出店する、ということでした。上記はそのオープニングデーの様子で、圧倒的な人気を誇っていた様子がよくわかると思います。

ゴルバチョフはその後ソ連大統領に就任しました。

 

また、イラクがクウエートに侵攻しました。これはアメリカを怒らせ、その後湾岸戦争に発展します(91年)。

 

日本では1988年に完成した東京ドームに海外の大物を呼んでイベントを行うことが流行っていたようです。

私もTVで見てびっくりした、マイクタイソン対ジェームスダグラスの試合は、ダグラスがKO勝ちのサプライズでヘビー級チャンピオンの座を獲得しました。

ローリングストーンズが初来日して東京ドームでコンサートを行いました。

やっぱり「若い」ですね

ポールマッカートニーも来日し、東京ドームでコンサート。

ストーンズとポールマッカートニーは違法薬物関係で80年代ごろまでは来日不能と言われていましたが(実際ポールは一度成田の税関において大麻不法所持で追い返されている)、日本もある程度寛容になったのかなあ。

 

ジャパンマネーにモノを言わせて、大物外国人を日本に呼ぶ、等と言われていましたが、あちらも日本市場は巨大でモノにしたいと思っていたんでしょう。

 

株価が40%近くも下がっても、比較的活気のあった1990年だったと思います。


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