2016年4月12日火曜日

石原慎太郎氏の「天才」を読んで 

私は正直、石原氏親子は好きではない。次男の伸晃さんは好きなんですけど(笑)。


都知事時代に『新銀行東京』を作ったのは良かったが(というか、この構想時代が失敗だったのですが)、その経営行き詰まりを社長に押し付けてしまったところが気に入らなかった。
確か社長はトヨタ自動車から招へいしたはずだったが、あんな言い方を知事自ら言ってしまえば、二度と民間は都に力なんて貸さないだろう、と思ったぐらいだった。

と、あまり慎太郎氏は好きではない先入観があったが、本屋さんで久しぶりに田中角栄氏の写真を見て、買ってみた。

結論は面白かったです

故田中角栄氏(若い人は知らないかもしれませんが、日本の元総理大臣で、絶大な権力者だった)の生涯を、一人称でつづったフィクション作品です。
まるで故角栄氏が自分でしゃべっているかのような錯覚に陥ります。
「俺はカネを300億円配ったが、この国を改造する大義の前には、小異だと思った」(こんな感じで、角栄氏の自叙伝のような書き振りが非常に面白い)。

真紀子さんについての記述はさすがに少ないですね(婿の直紀さんには感謝の言葉があるけど)。彼女も一人の娘として父を恨む気持ちと尊敬する気持ちが交錯しているのかもしれません。

ロッキード事件は私がまだ小学生低学年ぐらいの話で、「何も記憶にございません」は、田舎のガキの間でも流行語になっていました。
給食でピーナッツが出てくると、「俺も金持ちになった」などというジョーダンもはやっていました。
「コウジ」という名前が付くやつは、例外なく「コーチャン」と呼ばれたりしました。
などなど。

当時絶大なる権力だった一国の首相が、米国の逆鱗に触れるとクビが飛ぶ、とわかって以来、日本の政治家の人事権がアメリカにある、という構図が出来、以降はアメリカの忠犬を演じてれば、中曽根、小泉、安倍と政権が安泰する(これに経済運営をうまくやるというのが必要だが)、など日本のオリジナリティーが少なくなっていくのを憂う反面、中国を意識すると米国を最大限味方に引き付ける必要性があるなど、時代も変わってきましたね。

角栄氏のスケールの大きさと今の政治家を比べると、その器量と使うカネのケタも2つぐらい小さくすぼんで、ある意味さびしいですね。

ケチケチした数百万円や言葉で、揚げ足を採るのではなく、政治家としての結果で評価されるような世論をマスゴミさんたちは形成してほしいですね。

そんなことを感じさせた一冊でした。
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