ワタミのブラック企業説や電通の過労死事件以降、残業について話題が多くなっている。
ついに月間の残業時間を国が定めようとする動きが出てきた。
スポンサーリンク
残業は法定労働時間(1日8時間、週40時間)、所定労働時間(この範囲)を超えた労働時間を指すようだ。
これを超えると、割増賃金を支払う義務が雇用者に出てくる。
問題になるのは、会社側が拘束?しているにもかかわらず、対価を支払わない場合(サービス残業)になるか、
過労死(ウイキペディア)
(周囲からの暗黙の強制などにより長時間の残業や休日なしの勤務を強いられる結果、精神的・肉体的負担で、労働者が脳溢血、心臓麻痺などで突然死することや、過労が原因で自殺すること(いわゆる過労自殺)などである。
の場合か。
私の場合、銀行時代は3:6協定があって、銀行の店舗のカギを掛けるとそのまま本部に退社時間が記録される等の関係から、夜の10時以降の残業はなかった。
ただし、1人当たりの残業時間は月20時間を「メド」という暗黙の了解があった。
実際は、毎日3~4時間ぐらい残業していただろう。したがって、60時間~80時間程度の残業をしていたことになる(月20日勤務のケース)。
さらに、多分今では無理だと思うが、ファイルを持ち帰って家(独身寮)で仕事をすることもあった。独身寮では他の先輩も持ち帰りがあって、場合によっては先輩の部屋にいって、仕事を教えてもらったりしていた。
土曜の夜に缶ビール片手で、先輩に教えてもらったことがものすごく役に立ったりしたものだ。
銀行を辞めた後は、裁量労働制となって、若い間は徹夜もしばしやった。
それを過労(というほどの残業時間じゃないと思うが)とか思ったことはほとんどない。締切がヤバい、という思いはあった。もちろん眠たかった。
銀行の場合は、期日までに融資資金を顧客口座に入金しなければ、場合によっては融資先の従業員・家族まで迷惑がかかる話だし、コンサルタント時代は期日までに成果物を届けなければ、格好悪いし、彼らもその成果物が経営重要判断材料になるわけだから気合が入った。
つまり、やらされている、とか、残業だ、とかいう感覚はなかった(時給に引き直せば低いけど、グロスの給料が一般サラリーマンよりは良かったからかもしれないが)。
上司も過剰にギスギスしたことをいう人も少なかったので、恵まれていたのかなあ?
それが、「働かされている」という前提があるからか、「ブラック企業」とかいう話が一般的に出てくるのに、少し違和感を覚える。そんなにいやなら転職すればいいのに、って正直に思う。
電通や博報堂は仕事がキツイって学生時代から話題になっていたことを覚えている。
私も銀行に勤務していて、ちょうどバブル崩壊後で貸し渋りの始まりかけの頃で、融資先に無理難題を突き付ける仕事に嫌気がさして、やめたんですけど。
(もっとも、転職理由はM&Aの仕事の機会がなさそう、銀行の将来性、銀行内キャリアの将来性などが根っこにあって、目先の仕事が「やってられないよ」と段階を踏んで辞めた)
「簡単に転職できないんだよ」と反論されそうだが、私も最初の転職は32歳で、簡単でもなかったけど、3~4年かけてスキル磨いて転職しました。初めて人材紹介会社に行ったときは、「転職なんてやめときな」って50過ぎのコンサルタントのオジサンに、28歳ごろ言われましたから。
けど、「このまま銀行でいいのか?」って思って、色々転職に関することを勉強して、作戦を練って転職をしました。
1日の大半を過ごす職場で惰性に流されて仕事をするのは、あまりお勧めしません(若いのならなおさら)。自分なりの打開策を考えよう。
そうすれば、労働法的な残業は残りますけど、精神的に残業というのは解消までしないけど、暗いイメージから脱却できるような気がしましたが、甘いかな?内部通報制度もありますし。
どのような仕事でも(反社会的なものでない限り)、何らかの役に立っているわけだし、自分のやっている仕事の意義を見直すとかでもいいかな?
少子化・人口減なのに移民政策を否定して、残業代を規制して労働者数の増加を画策するかと思いきや、AIとかロボット化で生産性を改善できるのかとか、向こう10年間は最適労働についていろいろぶれそうですね。
しかし、これまでも週給2日制の導入などがありましたが、過労死などはむしろ増えている(高度経済成長時代はこういった概念がなかったのかなあ。あのころの方が生産性も低く、重労働だったように思うけど)ので、制度や上司ではなく個人個人の職に対する向き合い方なのかもしれません。
投資判断は、個人でお願いしますね。
応援お願いします。
スポンサーリンク
0 件のコメント:
コメントを投稿