彼は現在、俳優、画家などマルチタレントとして活躍していますが、私の鶴太郎氏に対する印象はこれまでずっと、モノマネ芸人の「鶴ちゃん」が中心でした。
私の中学、高校時代に「オレたちひょうきん族」が大ヒットしており、一生懸命この番組を見ていたものです。
その中で、モノマネがうまい鶴太郎氏の印象が強く残っているからです。
彼の、「小森のおばちゃま」のモノマネは、本物の小森和子さんを知らないにもかかわらず、なぜかバカ受けしてしまい、芸人の能力の高さを子供ながらに感じていました。
その後、トレンディドラマやボクシングマネージャーなど芸人の印象から離れていってしまい、自分もテレビを見る時間が減ってしまいました。
ただ、2年ほど前、大河ドラマの「黒田官兵衛」の小寺政職役で出演したときに、久々に見たような感じでした。
今回、そんな鶴太郎氏の著作を読んでみるにあたり、彼はどんな人物なのだろう、という興味から読みました。
内容は、50代へのエールというよりも、彼自身がこれまでどんなことを考えて生きてきたのかを書き下ろした半生を描いたもの、といってよいと思います。
現在鶴太郎氏は62歳です。彼は62歳まで一貫して、自分の心の中で自問自答して、「ぜひこれをやり遂げたい」と思えるもの(文中では「魂を歓喜させる」と言っています)を見つけ、ひたすらそれを追い求め、手に入れてきた、という努力家だったんです。
まず、モノマネ芸人ですが、小学生のころからモノマネ上手で、将来は絶対TVに出るような芸人になりたい、という一途な思いで、いろんなもののモノマネの練習をしていたそうです。
そして、数年の下積み芸人生活の上(温泉街やキャバレーでモノマネ芸や司会をこなす)、テレビに出るようになり、なおかつ横沢プロデューサーと出会って、「ひょうきん族」でブレイクスルーしました。
売れるようになって、女の子にもてて、夢がかなったにもかかわらず、自分の魂は喜んでいなかったそうです。
そんな時、ふと庭に咲く椿を見て、その美しさに惹かれてしまって、これをぜひ何らかの形で表現したい、と思って、画をかくようになったそうです。
最初は一流画家のモノマネから入っていったそうです。その中で、自分なりの表現方法を会得し、今のように評価されるようになったそうです。
彼は、自分の魂を歓喜させる何か(「シード」と言っている)を見つけると、それに毎日コツコツ水をやって、育てることで実現ができる、と言っています。
そのためには、最初はモノマネでいいので、反復練習をする。そうすれば、何かが見えてくるはずだ。自分が喜ぶか、その心の基準に従っていけばいい、と言っています。
ただし、「シード」は心を澄ませておかなければ、なかなか気が付かない。調子がいい時の方は気が付かないときが多い。
サラリーマンで50代になると、調子がいいことばかりではないはずで、こういった時にこそ、心を自分の内に入れて、澄ませてみれば、自分の魂が歓喜する「シード」が見つかるかもしれない。
それを見つけたら、追い求めていけば、50台という年齢だとまだまだ魂が歓喜する何かを得る時間は十分にある。
そんなメッセージを感じました。
新しいことにチャレンジするには、相当なエネルギーが必要で、悩んだり苦しんだりするものだが、シードを追い求めていると、いろんなギフトがもらえる。
例えば、人との出会い、そして魂の歓喜、というギフト、だそうです。
自分の心の声との対話、シードを探す、見つけたら新しいことでも恐れずにどんどんチャレンジする(ボクシングのライセンスを取る時には収入が1/5に減ったそうです)、そして自分が本当に喜ぶことをやり遂げる、片岡鶴太郎氏がこんなにすごい人だったとは存じ上げませんでした。
心の声との対話からはじめていきたいと思います。
投資判断は、個人でお願いしますね。
応援お願いします。
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