2016年10月18日火曜日

「住友銀行 秘史」國重 淳史氏著 を読んで イトマンとの思い出

SNSで話題の「住友銀行秘史」を私も読んでみました。
ネットやいろんなところで、本の内容・感想がかかれており、二番煎じになっても仕方がないのですが

私も一応銀行員を10年近くやっていたこと
イトマン事件のさなかに就職活動をしていたこと

などがあり、手に取ってみた次第です。


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1990年に就職活動をやっており、某都銀に内定をいただきました。学生時代の友人にイトマンに就職した女性がいました。当時は片っ端から友人等に電話して、「どんな会社?」って聞きまくっていました。イトマンにも聞いてみました。

当時から過労死という言葉があったような気がします。俳優で若き売出し中の時任三郎さんが「24時間戦えますか」というコピーでドリンク剤『リゲイン』が一世風靡していた時代です(当時から電通も博報堂も猛烈に働かされる企業と学生は認識していたと思いますけど・・・。)




彼女は当時のイトマンを「夜の9時まで残業して、朝方3時まで飲み会をやって、朝9時に出社する会社。みなワイワイガヤガヤやってるよー、イエィ、っていう感じ」と表現していました。

今思えば、単にバブルの絶頂で浮かれている会社、としか評価できないのですが、当時私は「確かに活気があって、良さどうだが、自分にはそんなきつい会社では勤まらんなあ」と思って少し尻込みしましたが、いろんな先輩からは「気になる会社はとりあえず受けておけ。勉強になる。」と言われた経緯から、受けに行きました。

役員面接の段階で、そうです。河村社長と面接したことを記憶しています。詳しい内容をすべて記憶していませんが、確か私が、その女性から聞いたことをそのまま質問しました。

~と大変活気のある会社とお伺いしました。」と言うと多分
「そうなんだよ。それがうちの社風だよ。仕事も遊びも徹底している」

と笑顔で肯定されていたと思います。

その後、彼女から電話があって「どうします?」と聞かれ、「3時まで飲み会なんて俺には無理だ」(注:私は酒好きではない。飲まない)といってお断りしたと思います。

イトマンとはそういった思い出がありました。

肝心の本の感想というより銀行業界全体への感想になるかもしれませんが、住友銀行の恥部ばかりがクローズアップされていますが、國重氏の貢献が良かったのかわかりませんが、住友銀行は(株価ではなく業界競争の)勝ち組として今なお三井住友FGの中核となって生き残っている、という事実を見逃してはいけないと思います。

あそこまで無茶区茶やっているにもかかわらず、ですよ。

イトマン以外にもゼネコンで無茶貸している話、パチンコ業界向け融資も有名でその金の一部が某国に流れたとも聞いたことはあります。

日本長期信用銀行、北海道拓銀、日債銀、大和銀の破たん、信用不安だけなら富士銀(山一證券)、第一勧銀(小池総会屋事件)、さくら銀行の株価急落、UFJ銀行の検査忌避事件、興銀の綿貫事件(三菱は表ざたになる大きな事件はなかったと思う)などあり、それぞれの銀行が生き残りのために様々な策(みずほグループ結成、三菱UFJグループとか)を講じました。

そういった中で、住友銀行は90年代前半にはイトマン事件に翻弄されましたが、後半にかけては、さくら銀行の吸収合併、わかしお銀行(旧太平洋銀行)と逆さ合併(逆さ合併をすることでSMBC銀の含み益を帳簿上実現化させ、自己資本比率を嵩上げした)など「攻め」の経営だったと思います。

他の銀行が「住友銀行秘史」の経営内部と同じようなゴタゴタ(経営課題を先送りしながら派閥抗争を繰り広げるみっともない有様)をやっているときは、住友銀行は西川善文氏の下で、イトマン事件の反省の元、攻めの経営ができたのでしょうかね?

膿を出し切って備える、という意味ではイトマン事件における國重氏の活躍は住友銀行のその後によかったんだと思います。國重氏自身はあまり良い待遇ではなかったようですが。

本の内容は他の人にお任せして、なんだかんだ言っても住友銀行はしっかりしていた(他の銀行がだらしなさ過ぎた?)と思いますが、株式投資となると二の足を踏んでしまいます。


そんな感想を持ちました。




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