2017年3月9日木曜日

安全と安心は歩いてこない 歩いていくものです

最近、「これは」と思う秀逸なブログ記事を読んだ。


今話題の築地市場の豊洲移転問題をまとめたものだが、その論点を明解に解説している。


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この中で

以下抜粋
(中略)安全性の問題は、科学によって決着がついている。その判断は、今もって権威ある専門家によって是認されている。(中略)仮に専門家が「安全」と言っても、「安心」はできないと。安全と安心は違うというのは、政治的な現実として真実です。本来は、安全で十分なはずなものについて、安心までを求めるのは民主主義のコストであり、文脈によっては払わざるをえないコストです。 しかし、安心をゼロリスクと定義するならば、それは追い求めてもしょうがない「青い鳥」であり、実際には存在しません。

抜粋終わり

ゼロリスクはない。しかし、安全は科学で証明可能、安心は求めてもしょうがない「青い鳥」だが、一部は政治的に支払わざるを得ないコスト。

豊洲問題だけではないはずです。いろんな問題に共通していると思います。
マスコミ世論は「あんしん」を盾に、物事の大半を否定します。大衆はそもそも安全のバックグラウンドが理解できていないため(中には原子力発電のように安全の立証に疑義があったりしますけど)、すぐ「あんしん」を追い求めます。
そのスキを煽って、記事にしています。

一時期大騒ぎになった、中国からの食物輸入に対する残留農薬問題も、税関検査や中国側の対応で、安全基準に達しても、民意への安心基準には届きませんでした。残留農薬問題の専門家は雑誌「アエラ」(朝日新聞系)に取材を受けたときに「一方的な記事を書くならお断りだ」と言ったそうです。
(今中国産の食物で目くじら立てている人いますか??? 随時買い分けていますよね)

資産運用も同じです。何を持って「安全」と言うかはその人のリスク許容度の問題だと思いますが(国債が安全・安心と言っている人は、インフレになった場合の元本の実質価値が毀損するリスクを理解していない)、リスクゼロの安心はあり得ない。

したがって

安全を理解できないと安心は理解できないと思いました。安全を求めるなら、物事に能動的にならないと得られません。決して誰かが与えてくれるものではない、と(少なくともその前提で考えたほうがいい)。

安心は、その上で(限界があると理解したうえで)納得して得るものでしょう。


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